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柴山桂太「静かなる大恐慌」グローバル化の行きづまりで日本はいかに生き抜くか。
日時: 2012/09/19 19:28
名前: 静かなる大恐慌

(*) 「静かなる大恐慌」
http://amzn.to/PzcgSg

著者:柴山桂太(滋賀大学経済学部社会システム学科准教授)

世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。国際政治は、一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済の脆弱化。これに耐えるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」の復活しかない、という歴史の趨勢に我々は逆らうことはできないのだ。このグローバル化の行きづまり、急反転というショックを日本はいかに生き抜くか。経済思想、国際関係論、政治・経済史の知見を総動員して、新進気鋭の思想家が危機の本質と明日の世界を精緻に描き出す。


<内容、目次>
第一章:「静かなる大恐慌」に突入した
第二章:グローバル化は平和と繁栄をもたらすのか?
第三章:経済戦争のはてに
第四章:行きすぎたグローバル化が連れてくる保護主義
第五章:国家と資本主義、その不可分の関係
第六章:日本経済の病理を診断する
第七章:恐慌以降の世界を生き抜く


<著者プロフィール>
柴山桂太(しばやまけいた)
滋賀大学経済学部社会システム学科准教授。
1974年、東京都生まれ。京都大学経済学部卒業後、京都大学人間・環境学研究科博士課程単位取得退学。専門は経済思想、現代社会論。
主な共著に『グローバル恐慌の真相』(集英社新書・中野剛志氏との共著)、『危機の思想』(NTT出版)、『成長なき時代の「国家」を構想する』(ナカニシヤ出版)など。



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(*)柴山桂太 インタビュー
http://shinsho.shueisha.co.jp/shibayama/interview/

――柴山さんの初の単著『静かなる大恐慌』は、今のEU危機を対岸の火事としてしか見ていない日本人にとっては、かなりショッキングな内容です。日本人が体感できていないだけで、これは「静かなる恐慌」なのだという警告から本書は始まりますね。

柴山桂太 : 今の「静かなる恐慌」は、「恐れ慌てる」パニック型の恐慌ではないので、この経済危機を「恐慌」と呼ぶことに反発があるのは、分からないでもないのです。銀行の取り付け騒ぎが世界各地で起こったりした一九二九年のあの世界大恐慌と、今の不景気を同列に置くのは、おかしいじゃないか。そういう反論が来ることは、予想しながら、書いていました。
しかし、実際にはじけたバブルの大きさを見れば、戦前の大恐慌前のバブルに匹敵するか、あるいはそれ以上の規模ですから、この経済危機は相当なものです。にもかかわらず、二〇〇八年のリーマン・ショック以降の経済危機が、おだやかに見えてしまうのはなぜか。
それは各国の政府がなりふりかまわずに、企業を救済し、金融緩和で市場にお金を流し、財政出動を行って、あの戦前の世界恐慌のときのようなパニックを防いでいるから、というだけのことなのです。バブル崩壊後の債務デフレは長引くので、たとえて言えば、今は止血剤を施したという段階です。その処方の副作用が問題化してくるのはこれからです。
しかも、現在の恐慌によって影響を受けるのは、いわゆる経済だけではありません。世界経済の混乱が長引けば、各国は争って他国の需要を奪いあい、国際関係は相当ぎすぎすしてきます。国内の政治や社会が受けるダメージも大きく、内紛も頻発するでしょう。つまり、二○世紀初頭の世界恐慌、世界大戦の時代にも似た様相を現代は見せ始めている、というのが私の見方です。


――現在の世界経済危機、そして戦前の大恐慌のいずれも「グローバル化」が問題の根っこに存在している、という柴山さんの指摘は、非常に刺激的でした。しかも、今、進んでいるグローバル化は近代に入ってから、実は二度目のグローバル化である、と。

柴山桂太 : 歴史統計が整備されてきたおかげで、一九世紀末から二〇世紀前半にかけても、ヒト・モノ・カネの移動が相当さかんに行われていていたこと、つまり、世界経済の結びつきが現代と同じように密接だったことが分かってきました。当時を第一次グローバル化の時代だとすると、現代のグローバル化は第二次のグローバル化なんですね。
グローバル化というと、ポジティブな面ばかり日本人は見る傾向がありますが、世界が密接に結びついた、資本移動の激しい時代の経済は、非常に不安定で、脆弱なのです。ある国でバブルが起きれば、そこに資金は一気に流れ込むため、急激に、そして大規模にバブルは膨らみ、またそれがはじけるときには、一気に破裂し、国境を越えて深刻な経済危機が連鎖してしまう。
しかも、世界的な恐慌を引き起こすだけでなく、急激な経済の崩壊は、国家間の対立にまで発展してしまうでしょう。実際、歴史を振り返ってみれば、第一次グローバル化は第一次世界大戦、第二次世界大戦という二つの戦争によって終わったのです。つまり、第一次グローバル化は平和をもたらすどころか、経済戦争で始まった国家間の対立が、戦争にまでいきついてしまった。このことは、現代のグローバル化を考えるうえで忘れてはいけないポイントだと思います。

――柴山さんによれば、第一次グローバル化によって、ドイツが急成長してイギリスの優位性が失われていく。その結果、ヨーロッパ諸国のパワーバランスが大きく変化したことが、欧州情勢を不安定にさせて、第一次世界大戦につながっていったのだと。現代のグローバル化も、同様に各国のパワーバランスを変えている面があるのでしょうか?

柴山桂太 : 現代では中国が、戦前のドイツと同じようにグローバル化を利用して一気に経済大国にのし上がりました。しかもその力はすべて軍事力に反映されます。たとえば中国はこの二〇年間で軍事費が五七五%も増えているんですね。ですから、いま、中国を中心にアジアできな臭い動きが数多く起こっているのは、中国の急成長によるところが大きい。これは戦前のヨーロッパで起こったことと、基本的には同じ構造です。
もちろん、現在は核兵器の時代ですから、簡単に大国間で戦争が起きることは考えにくい。しかし、中東で起きている一連の動乱もこの経済危機と無縁ではないですし、現在の欧州危機がアジアに飛び火していくようなことが起きると、さらに紛争リスクは高まっていくと思います。   


――歴史に学べば、グローバル化は決して手放しで礼賛できるようなものじゃないということですね。それなのになぜ、グローバル化に対しての楽観的な態度が広がってしまったのでしょう?

柴山桂太 : 現象面でいえば、グローバル化は半ば政策的に導入されたものであり、半ばつき合わざるをえないものでした。日本の視点から見ると、そもそもアメリカの経常収支赤字が広がってきて、九〇年代以降、金融自由化を始めていくという流れがあったわけで、世界の中心がやり始めたら、ほかの国もつき合わざるをえないですよね。その結果、どの国も金融を自由化して、金融グローバル化が進んでいく。そういった流れのなかで、グローバル化に乗り遅れるな、という論調が何度も繰り返されてきたんです。

――柴山さん自身がグローバル化はあやういと考えたのはいつ頃でしょう?

柴山桂太 : 九〇年代の終わり頃ですね。アジア通貨危機で世界経済が混乱し、日本でも大手金融機関が次々とつぶれて、就職氷河期が到来した、あの頃です。私も、いわゆるロスト・ジェネレーションですから、同世代はみんな苦労していたかな。

――日本が本格的にグローバル化に傾いていくのは二〇〇〇年代に入ってからですから、かなり早い時期から気づいていらっしゃったわけですね。

柴山桂太 : もし早いとしたら、経済思想、特にケインズの研究をしていたせいですね。当時、驚いたのが、ケインズの分析が、ほとんどそのまま現代にもあてはまる、ということでした。ケインズは戦前の恐慌期に財政出動を提唱したことで有名ですが、彼の研究全体を見渡すと、彼の目にはグローバル経済が持つ本源的な不安定性がはっきり映っている。そんなふうに感じられたんですよね。そして、ケインズを読み込むうちに、この危機は、グローバル化のせいだ、と直感したというわけです。
しかし、現在の主流派の経済学には、ケインズのように危機を見据える思想がありません。いわば平時の思想でとどまってしまっている。何もない無風の状態での市場のことしか念頭にない。だから、大きなバブルが崩壊するような危機を、経済学はあまり想定してこなかったし、こんな時代は、経済学だけの知見では乗り切れない。政治学、歴史学、経済思想など、もっと総合的な見方を踏まえたうえでの議論をしないと、この混乱した時代から抜け出すための処方箋は得られないんじゃないか。それが今回の本の執筆の動機でした。

――現在のグローバル化は今後、どのように展開していくと考えていますか?

柴山桂太 : グローバル化が進んでも、民族意識って簡単に消えませんから、世界経済が悪くなると、まず一国のなかの外資系が叩かれるんです。途上国、新興国ではその傾向は特に顕著で、実際、インドではスズキの自動車工場に火をつけられたりしているし、中国でも日系と外資系の企業が襲われている。だから、これから海外に投資することのリスクが、すごく高まると思うんですね。
戦前のグローバル化の帰結がそうであったように、グローバル化の動きは、これから、必然的に「脱グローバル化」のプロセスに入っていくはずです。つまり、外に開くより、国家単位、地域単位で閉じていくプロセスに入るわけです。ブロックとか保護という形で閉じていくというプロセスが必ず来るのだと思うのですよ。
ところが、特に日本では、これだけ経済が混乱しているにもかかわらず、グローバル化が終わるとは誰も考えていない。人類の歴史はグローバル化に向かうのが必然だと、みんな、信じて疑っていない。僕はそこに強烈な違和感を持っています。


――戦前は世界恐慌から各国が保護主義へと舵を切って、ブロック経済のもとで「経済戦争」に突入してしまいました。今回の脱グローバル化も、そうした危険性をはらんでいるのでしょうか?

柴山桂太 : 僕は保護貿易そのものが悪いとは考えていません。それは程度の問題であって、戦前の場合は、極端な自由主義が極端な国家統制に急転回してしまったところが問題でした。実際に一九三〇年代のアメリカは、工業、商業、金融といった分野で強い規制がかけられました。つまり国が市場を抑え込むわけです。ナチスもそうですね。
ですから、理想を言えば、極端な自由放任でも統制経済でもないところに、着地点を見つけるのが文明の知恵というものだと思うんですが、それを言おうにも、現在の経済学や経済思想はあまりに自由貿易に傾きすぎている。だから、僕はいろんなところで言うんです。純粋な意味での自由貿易なんて、人類史上実現したことは一度もないし、それが望ましいという保証だってないんじゃないかと。


――それは資本主義の適正な着地点を問い直すことでもありますね。本書の終盤でも、「資本」の概念を拡張する必要性を説いていました。

柴山桂太 : じつは我々の生活というものは、すべて先行世代からの有形無形の投資の上に成り立っているんですよね。それは貨幣だけじゃありません。人間関係、組織、教育、知識といったものも含めて、先行世代から蓄積されてきた「国民資本」と呼ぶべきものが、今の私たちの生活を支えているわけです。
そのように考えるならば、これからは逆に、我々の世代が、次の世代にそれを送り渡すという義務を負うわけですよ。こういう議論も、経済学にはなかなか入ってきませんが、農業だって製造業だって、一度壊すと簡単には再生できない。それは多少なりとも働いた経験があれば、常識として分かることだと思います。
グローバル資本主義は、貿易や投資を自由化することで、グローバル市場全体で分業が進むので、各国の国民資本を不安定なものにしてしまいます。はたして、それでいいのでしょうか。
戦後の経済は、グローバル資本主義から国民資本主義へと転換することで、「資本主義の黄金時代」をもたらしました。国民資本主義とは、農業から工業、商業まで含めた国内の多様な産業を各国が持ち、国内で内需を生み出したうえで、お互いの足りないものを貿易しあうような世界経済のビジョンであり、アダム・スミスが「諸国民の富」という理念で述べたことでもあるのです。
戦争へと至った戦前の歴史を繰り返さないためにも、グローバル経済の危機を正面から見据えながら、「国民資本主義」という理念を鍛え直す時期に来ているように思います。

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(*)柴山桂太 インタビュー
http://shiga-motherlake.jp/interview/interview12.html

――芝山さんの視点から見た、現在の経済社会がかかえる課題から、おうかがいしたいのですが。

柴山桂太 : まず、行き過ぎた競争社会ということがあげられると思います。例えば、世界で一番競争が激しいのは、どこだと思われます? きっとアフリカのサバンナのような、猛獣がウロウロしているようなところでしょう。だって、弱い動物は少しでも油断していると、ライオンなんかにすぐ食べられてしまうわけですから。もちろん、人間もそんなところでは生きていけません。  逆にいえば、人間社会でも、競争を放置していれば、こうしたアフリカの草原地帯のような弱肉強食の世界なってしまうのです。そうならないのは、人間社会には、弱い人たちでも生きていけるような、きちんとしたルールや規制、必要な介入が行われ、人間ならではの文明社会が築かれているからなのです。

――他方、競争社会のおかげで、モノが安くなっているわけですが、それがあまりにひどい状況になっているということでしょうか。

柴山桂太 : そうですね。今、求められていることを、一言でいうと、「成熟した消費」ということだと思います。安いものなら何でもよい、という考え方ばかりではいけないと思うのです。私の父の仕事は、テーラーでした。背広などの注文服づくりです。もともと背広は西洋の技術が伝わったもので、父などは、それを日本人の体形に合わして作ることに工夫を重ねていたのです。それが今は、量販店に行けば、中国の安い人件費で縫製した製品が、一着一万円くらいで売られているわけです。 それに比べて、イタリアなどでは、洋服屋さんでも、靴屋さんでも、個人の店がきちんと残っているし、ワインも地元産のワインを飲みます。何でもよいから安いものを買い求めるという生活の仕方ではなく、ものづくりの文化が、今でもちゃんと残っているのです。これが私の言う「成熟した消費」の意味なのです。

――これは、日本だけの現象なのでしょうか。

柴山桂太 : こうした現象はアメリカでは、ウォルマートプロブレムと呼ばれています。ウォールマートのような巨大スーパーが出店してくると、野菜屋さんだとか肉屋さんだとか、みんなつぶれてしまいますから、町のコミュニティ自体がなくなってしまうのです。例えば、地域の消防団だとか、学校のPTAで活動をするとかができなくなってしまうのです。

――その意味では、もはやアメリカ的な生活や経済的繁栄は、私たちが目標とするところからはズレてしまっていると。

柴山桂太 : 最近、私のゼミの学生がアメリカ留学から帰って来て、「先生、アメリカより日本の方がずっといい。ずっと暮らしやすい」と言うのです。たしかにアメリカは、一見、繁栄しているように見えますが、治安は悪く、社会全体がストレスに満ちて、ギスギスしている感じです。ご存じのようにヨーロッパでも、若者の失業率は非常に高いですし、その意味でいえば、日本の若者は、資本主義のフロントランナーにいると言ってもよいのです。最近、若者の海外へ出かけて行く意欲が薄れていると言われますが、こういう状況ですから、海外へ出て行こうなんて思わないのが当たり前ではないでしょうか。

――その若い人たちに、これからの新しい時代を築いていくために、どんなことを望まれるでしょうか。

柴山桂太 : そうですね、若い人に一言いう前に、僕としては、今のお年寄りのみなさんにまず、一言いいたいですね。例えば、今の若者は元気がないとか、チャレンジ精神が足らないとか言われますが、よく考えてみてください。高度成長時代であれば、年率7%の経済成長としても、10年間で所得は2倍になります。つまり、10年、20年一生懸命働けば、自分の家が建ったわけです。ところが、今の若い人たちは、生まれて以来、名目成長率は、ほぼゼロ成長です。とてもローンを組んで家を建てたり、何か新しいビジネスをやってみようという経済環境にないのです。

――たしかに。では、彼らはどうやってこの厳しい時代を生きてゆけばよいのでしょう。

柴山桂太 : 自分の直感を信じて生きて行って欲しいですね。自分に正直に生きていくと言い換えてもよいかもしれません。これまでの時代は、欧米というお手本があったわけですから、その後をついて行けばよかった。でも、今の日本の若い人たちは未知の領域にさしかかっているのです。例えば、必ずしも企業に入って生きることが正しいかどうか。私の父のように、洋服の仕立て屋さんとして生涯を送ることも、ひとつの選択肢なわけです。今は、戦前に比べれば、モノもサービスも圧倒的に進歩して便利な世の中になっています。その意味からいえば、生き方や考え方を戦前に戻して、「バージョンアップした戦前社会」を実現することが、これからの日本のあり方だと思います。


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